何がほんとに大切なもの・・・?

早期教育の重要性が見直されている現代において、ITを活用した知育教材が多くの企業からリリースされています。

その最たる物として、知育アプリが挙げられます。

スマートフォンタブレットといったスマートデバイスの世界的な普及が、その流れに拍車をかけていると思われます。

では、何を基準に選択すればいいのでしょうか?

その手がかりになりそうな記事を見つけたので、紹介します。

タブレットにしても、スマートフォンにしても、ハード面の便利さだけが一人歩きする危険性を多分に持っています。つまり、ITを活用したアプリケーションの開発や、WEBベースでの学習システムの開発によって新しい教育内容や教育方法がどう生み出せるかという点の議論がありません。子どもにとって楽しい内容であっても、それが一過性のものでは困ります。その内容が何のために必要なのかをきちんとしないまま、楽しさ・便利さだけが前面に出てくるのでは、「何のためのIT利用か」ということにならざるを得ません。現在のばらばらな中味、一貫性のない内容は、結局「幼児教育の目的」が何であるのかの議論が素通りされているからです。もっと言えば、制作する側に教育プログラムがないのです。幼児期にすべき教育の中味が議論されないまま、楽しさだけで知育アプリが作られていくとしたら、きわめて危険な兆候といえます。

教材を新たに開発し提供する企業には、当然ビジネス(売れるのか、売れないのか)という視点が付きまといます。

単純な目新しさ、おもしろさは人の眼を惹き付けるのに効果的です。

流行とマッチした内容を盛り込めば、消費者受けする可能性も大きくなるでしょう。

様々な企業が独自のコンセプトを打ち出し、その中で消費者をどれだけうまく囲い込むかを考えているはずです。

その過程において、いつの間にか本来の目的である教育という核の部分が置き去りにされてしまう危険性を、この記事は伝えてくれています。

 教育は、基本的には人と人とのかかわりの中で営まれるべきことです。その前提の上で教育のIT活用が進んでいくならば、教育の革新にとって大変な武器になるはずですが、どうもそうした方向になっていないのが現状のようです。子どもの認識能力は、ものごとに働きかけ、試行錯誤することによって育つものです。指さき一本の操作は、ものごとへの働きかけにはなり得ません。幼児教育の世界でモンテッソーリ教育が評価されていることの一つに、体系だった感覚教具の存在を無視できません。五感を通してものごとの存在を認識していく幼児期に、IT活用による教育活動が意味を持つとしたら、リアルの場面をどう保障するかです。「リアル」と「IT」をどのように組み合わせるか、そのポイントは、「何を教育課題とするか」ということです。

 私の個人的な感覚として、今ある知育アプリは端末上で完結させようとしているものがほとんどです。

更には、幼児期の子どもたちが動きの中でこそ学んでいくならば、どうしても動きの部分で限定されたものになってしまいます。

今後、知育アプリが幼児教育において有用なものとなるためには、子どもたちが端末上で得た体験を、いかに現実世界に還元(誘導)できる仕組みを作るか考える必要があります。

そんな作り手の工夫・思いが伝わるものを、私は手にしたいです。

 

参照記事

コラム「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」 | こぐま会